2017/11/30

竹田城跡

立雲峡からの竹田城趾
過去2回行っても巡り会えなかった雲海にようやくお目にかかれました。やはり雲海に浮かんだ姿は幽玄とも言える世界でした。写真は竹田城跡の東にある立雲峡からの一枚です。初めて行った時には自分以外には2人しか居なかったのですが、今はこちらに来る観光客の方が多そうでした。この後、移動して駐車場から40分程かけて城址に登ってみましたが、そちらは意外に人がいなく、10人程度でした。2回目に来た時には数百人?いた事を思うと、観光客の気紛れさを改めて納得。

竹田城跡は雲海が出ていようが無かろうが、やはり一度は見ておくべき価値のあるものです。

最初は柵も何も無かった城趾でしたが、今では通路には土壌流出防止用の毛布のようなものが敷かれ、両側には柵でロープが張られてしまい、通路以外は進入禁止になってしまいました。あまりにも大勢の観光客が訪れるようになった結果なのでしょうが、人が来れば荒れる、来なければ寂れる、と難しいもののようです。大手門の所には受付事務所と立派なトイレも出来ていました。
ただ、城址に上がるハードルは高く、足腰が丈夫でないと厳しいところがあります。

2017/11/25

坂東観音巡礼

あんどん倶楽部という自分が参加している集まりでこれまでは「100寺巡礼」やら「秩父観音巡礼」「宿場巡り」などしてきましたが、今度は「坂東観音巡礼」を始めることになりました。自分としたら大歓迎です。というのも100寺巡礼で鎌倉五山を廻った折、最後の浄妙寺の近くに坂東の一番札所である「杉本寺」があったので、数人で寄ってきていました。その時が自分にとっての坂東観音巡礼スタートの日になり、その翌年の正月、友人と二人で厨子から鎌倉を歩きながら鎌倉市内にある札所3ヵ所と小田原の1ヵ所を廻って来ました。以前廻った西国霊場と違い、坂東の札所は大きなお寺からほんとに小さなお寺まで千差万別。それでもその後行った札所に較べれば鎌倉や小田原にあるお寺は大きく立派なものでした。
今回廻った5寺は個人的には既に参詣済みの所ばかりでしたが、改めてリスタートです。


  1番 杉本寺  
杉本寺 石段

杉本寺の石段は柔らかな鎌倉石を使っているため、これまでの参詣者の数を物語るかのように磨り減って苔むしています。現在は通行不可となっており、石段横の通路を通ります。

  2番 岩殿寺  
岩殿寺 奥の院
岩殿寺は鎌倉市内ではなく逗子市にあります。また、奥の院といっても岩殿寺のそれは観音堂の裏にあるので苦労もせずに辿り着けます。この洞の奥には行基の作と伝わる十一面観音菩薩像が安置されており、この岩の祠が岩殿寺の寺名の所以になっています。本堂に安置されている本尊は絶対秘仏で非公開。


  3番 安養院  
安養院 本堂
逗子から再び鎌倉に戻ります。安養院は北条政子が夫、頼朝の菩提を弔うために長谷の方に建てた長楽寺が元になっているといい、それが現在の地に移り安養院となったとか。安養院は政子の法号から来ています。この寺は鎌倉のツツジの名所としても知られ、花の時期には見事なツツジを見る事が出来るようです。帰って来てから知りましたが、この寺には映画監督「黒澤明」監督の墓もあるようでした。


  4番 長谷寺  

観音堂と阿弥陀堂
長谷寺は大きなお寺です。ここの本尊の十一面観音は奈良の長谷寺の観音像と同寸といいます。奈良の長谷寺の徳道上人は十一面観音を2体同時に造り、その1体を海に流したところ、十数年後に三浦半島に流れ着いたものを安置したのが鎌倉長谷寺の始まりといいます。これまでは静かだった札所に較べるとここは賑やかです。それに外人さんも多い!

  5番 勝福寺  
観音堂
小田原まで戻ってきました。この勝福寺の創建に拘わった人たちの名前を見ると、その当時では超メジャーな有名人のオンパレードです。まずこの寺の興りは唐からやって来た鑑真が請来した十一面観音像が時の孝謙天皇に献上され、これは当時孝謙天皇の信頼を得ていた弓削道鏡に下賜されます。この後、孝謙上皇崩御の後力を失った道鏡は房総に左遷されますが、そこに赴く途中、この地で堂を建てこの観音像を安置したのがこの寺の始まりといい、その後、東大寺実忠大僧都を開山初祖に落慶大法要を行なっています。鑑真、孝謙天皇、道鏡、実忠、と時の有名人層揃えといったところ。

この5寺意外にも三寺ほどは参詣済みとなっています。しかし、満願するのは一体何時のことになるのか!


2017/11/17

猿橋の紅葉


昨日(11月16日)甲州道中4回目、鳥沢駅から笹子駅までの約20Kmを歩いて来ました。今回期待していたのは大月にある猿橋の紅葉です。甲州道中そのものがこの橋を越えていて、その当時よくもこんな所に橋を作ったものだと感心します。猿がこの渓谷を渡るのを見て、この橋を架けたといいますが、まぁ伝説の類いでしょう。猿橋は岩国の錦帯橋、木曽の桟と並び日本三大奇矯に数えられています。
戊辰戦争の際、柏尾坂の戦いで完敗した甲陽鎮撫隊が撤退する時、この橋を焼落として遁走する時間を稼ごうとしましたが、地元民に迷惑が及ぶという事で実行されたかったといいます。

橋の上からみる渓谷は見事に色付いていました。最近ではこんなに綺麗な紅葉を見たのは久しぶり。勿論今年一番の紅葉でした。
さて、次回はいよいよ甲州道中一番の難所「笹子峠」越えです。

2017/11/14

甲州道中5日目

早いもので今週半ばには甲州道中第4回目(5日目)です。流石に中山道の時と違い日帰りの繰り返しなので、なかなか距離は稼げません。
今回は鳥沢駅から笹子駅までの約20Km。この間よりは距離も短く、それにアップダウンもそれ程無いはずですから、楽勝ペース?かな。冬も本格化してしまうとその先の笹子峠越えが出来なくなる心配もあるので、冬も序盤の12月上旬には笹子峠を越えて甲府盆地に入る計画でいます。ただ、この回は一泊しないとチト難しそうなので、あの国宝の薬師如来の鎮座する大善寺の民宿に泊まる予定で、予約も完了。宿坊ではなく、民宿となっているので酒も呑めるかな?
今週、甲州道中も紅葉真っ盛りではないでしょうか。楽しみですが、あまり寒くならないことを祈っています。

2017/11/12

半世紀ぶりの昇仙峡

 昇仙峡 

覚円峰
昇仙峡の記憶は小学生の頃で、それ以来行ったことは無かったのですが50年以上経過した先日行ってみました。山梨県ですから遠い所でもないのですが、何故か行かずに半世紀が経過。微かな記憶の中で何となく石の山(覚円峰)などは覚えていたものの、それ以外は全く記憶の外。紅葉を期待しての昇仙峡だったのですが、これは早かったのか、遅かったのか、それともこんなものなのか。期待していたほどの紅葉にはお目にかかれませんでした。

仙娥滝
中間地点に車を駐めて一番上まで来るまで送って貰い、上から降りてきました。この滝は仙娥滝という滝のようです。この滝が一番人気のようで、ここでは大勢の観光客が写真を撮るのに一生懸命。自分も写真クラブの11月の課題が「秋」なので何とか出せる写真を撮ろうと何枚も撮ってみましたが、撮影出来る場所が限られていますからどうしても絵はがき写真になってしまいます。


実は昇仙峡で一番期待していたのは「藤城清治氏」の作品を展示している影絵の森美術館でした。以前から見てみたいと思っていたものをようやく見る事ができました。それ以外にも山下清の作品(殆どは複製版)と、特別展では「内海桂子」さんの絵画も展示されていました。この影絵の森美術館はお勧めです。


 吐龍の滝 


車に戻った所で腹ごしらえをし、大泉町にある「吐龍の滝」へ寄ってみました。この数年の間に何回来たことか。この滝はもう十数年前のNHKの大河ドラマ「利家とまつ」のオープニングで使われた事のある滝なのですが、枯れ葉状態で此所もまた何回来てもまともな写真が撮れていません。


平山郁夫シルクロード美術館

宿に向かうにはまだ早すぎるので、小泉町の駅前にある「平山郁夫シルクロード美術館」に立ち寄ってみました。この美術館は主にシルクロード関連の絵画やカンダーラ仏像を展示している美術館で、以前より平山郁夫画伯との縁があった関係でこの地に美術館が出来たとの事でした。ここも個人的には3回目くらいになるでしょうか。小海線の小さな駅前にこんなに立派な美術館がある事に驚きます。展示されている仏像や絵画も多く、結構な見応えがあります。

 ペンション・ラクーン 

ペンション前を走る信玄の棒道

今日の泊まりは富士見高原にあるペンション・ラクーンです。このペンションを経営されているのは我が家の近所が実家の方で、カミさんや娘、それに息子夫婦も以前来ています。今回初めて知ったのですが、このペンション村の中を貫いている細い道は信玄が信濃侵攻の為の軍用道路として開けた「棒道」と呼ばれる街道でした。「棒道」の存在は知っていましたが、それがこのペンションの前を走っていたとはチョットした驚きでした。甲斐から信濃へそれこそ「棒」のように真っ直ぐに伸びていた道なので「棒道」と呼ばれているようです、またいつかこの棒道を端から端まで歩き通してみたいものです。


 御射鹿池 


以前何かを見ていたら偶然知った奥蓼科にあるこの池は湖畔に白馬のいる構図で知られる東山魁夷の代表作「緑響く」のモデルになった池で、東山魁夷はこの池がえらく気に入ったらしく何回も通っていたといいます。生憎と今は紅葉シーズンであの緑の中の白馬というイメージとは離れてしまっていました。緑響く時期にもう一度見てみたいです。
自然な池かと思いますが、実はこの池は1930年頃に出来た農業用の溜め池なのだそうです。酸性が強い水質のために水棲生物は生息出来ないのだそうです。そのような水質の為に濃い緑の湖面になっているのでしょう。

 霧ヶ峰・八嶋湿原 


御射鹿池までは計画をしてあったものの、それ以降の事は予定していませんでした。行く当ても無いので、大門街道を中山道まで行き、1年4ヶ月ぶりの和田宿を見てきました。早いものであれから1年4ヶ月です。折角和田まで行ったのにそのまま通過し、和田峠からビーナスラインに入り、霧ヶ峰へ。しかし、秋の霧ヶ峰は見るべきものもありません。やはりここは夏に来るべき所でしょう。標高は1000m以上有り、かなり高い筈なのに寒くない!今日はやたらと暖かい日のようです。

 身延山 久遠寺 

久遠寺・五重塔

霧ヶ峰から上諏訪に下りて、そこからはずっと20号線を走ってきました。この辺りは殆ど中央高速を利用していましたから、二十歳の頃スキーに通って以来なのかもしれません。そうなると、40年以上も昔の話です。しかしその頃とあまり変わっていないように見えるのは錯覚か?
身延まで来て、まだ少し時間が早いので久遠寺に寄ってみました。ここもこのところよく来ます。それだけに目新しい事は無いのですが、ただ一つ今回初めての事が!
実は久遠寺には過去何回も来ているのに、堂内に入った事は無かったのです。それが今回初めて堂内に入ってみたのです。でも、特別の仏像が有るわけでも無く、また建物もまだ左程く歴史あるものでも無いので見たところであまり興味を引くようなものはありませんでした。